彼女は知らない。


「彼女は知らない。」

著:まつくぼっくり 

■あらすじ
あなたに大切な人はいますか?その人がもし、好きでいることを許されない相手だったとき、どんな道を選びますか?
陵が小さい頃から一緒にいた大好きな人、綾乃は、自分とはまるで身分の違うお嬢様。絶対に隠し通さなければいけないこの気持ちは、一体どこに向かうのだろうか。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「ねえ僕たち、大きくなったら結婚しようね」
「うん!絶対、忘れないでね。約束だよ…」

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

懐かしい夢を見た。
あれはまだ、自分の立場なんて少しもわからず、
ずっと一緒にそばで笑っていられると信じて疑わなかった日々。
鮮やかなひまわり畑の真ん中で、小さな小さな手を握り合い、とても大きな、そして決して叶うことのない夢を約束した。
年月を重ねた今、彼女は俺のそばにはもういない。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

ドンドンドンッ!!!

 
「ちょっと陵ー!まだ寝てるのー!?今日は私と一緒に虫取りに行くって約束でしょう!?」

 

昔の夢に浸っていると、部屋の外からの騒がしい声に現実に戻される。
仕方なく重い体を起こし外に向かって声をかける。

 

「うっさいな。起きてるよ、今行くって。」

 

正確にはそばにいられないのではなくつまりは気持ちの問題で…。
うるさく叩かれ続ける扉を開ければ、ふくれっ面で俺を見上げる少女。

 

「陵!遅いよもう。」

「悪かったよ、ほら山行くんだろ?準備できてんのかよ」

「当たり前でしょ!陵と出かけるの私楽しみにしてたんだから」

 

色素の薄い麦わら帽を目深くかぶり、半袖のTシャツと短パン姿にお気に入りの虫取り網を掲げながら眩しい笑顔でそう伝えてくるこいつは、

 

「綾乃お嬢様!!またそのような恰好をして…奥様に叱られてしまいますよ!」

「うるさいなぁ、ばあやはいつも細かいのよ。大体、いつも叱るのはお母さんじゃなくてばあやじゃないの。」

 

そう、こいつは世界を代表する大企業の社長を父親に持つ一端のお嬢様で、そんで、…俺の想い人。

 

「陵くんも、いつまでもお嬢様の我儘に付き合うのはやめてくださいね、お嬢様にはもっと上品な教養を学んでいただかないと。あなたにだってもっと付き人らしい仕事をしてもらいたいものだわ。」

 

その言葉にチクリとする心臓には無視をして、もう作り慣れた笑顔でそれとなく返事をする。
文句を言いながら去っていく家政婦さんをみて思わずため息をこぼす。
…わかってんだよそんなの。諦めなきゃいけないのなんて、身分が違いすぎることなんて、俺が一番わかってるんだ。
こいつはいずれ世界を担うお嬢様。俺はそのお嬢様が独り立ちできるまでの子守役の付き人。
何がどうなったって俺らは結ばれたりなんかしない。
それでもこうして顔を見ればそんな気持ちは一瞬にして霞んでしまう。

 

「陵…?」

 

あぁもうそんな顔しないでくれ。背が低いせいで自然と上目使いになる不安げな表情が一層気持ちを揺らがしていく。

 

「虫取り、行くんだろ?ばあやに見つかる前に早く行こう」

「うん!」

 

また無邪気な笑顔をして俺の前を走る君に恋をしてもう10年。
未だに変わらないのは俺の想いだけで、年を重ねるにつれてすれ違っていく心と立場。
俺はただの使用人の息子で、君はその家のお嬢様。
こんな無謀な恋を辞められないのは、幸せが続くと信じて疑わない君のせい。

 

 

 

***

 

 

 

16歳の君と18歳の俺。
この年になるまで君を好きでいるなんて、思っていなかったんだ。
幼かったあの頃の俺たちはもういない。
君だって本当はもうわかっているんだろう?
このまま一緒にはいられないって。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

いつものように叩き起こされては彼女の我儘に付き合う日々。
めんどくさい、なんて口では言いながらも、彼女が今日も俺の部屋に迷わず向かってきてくれることに不思議な安堵を覚えるようになったのは、何年前からだっけ。
ねえ、君は本当にずっと俺と一緒にいるつもり?
それが一体どういうことを意味しているか、君はわかってる?

 

「陵。ちょっと私の部屋まで来なさい。」

 

使用人、この家の執事長をしている父が、珍しく部屋まで来たと思ったらなにやら神妙な面持ちをしている。
これは、嫌な予感がする。

 

「何、父さん。俺に何か用?」

 

拠れた襟を気持ちばかり直して、扉の前で一気合入れてからノックした父さんの部屋。いわゆる執事室だ。
冷たく言い放った俺に若干ムッとした父さんは、眉間にしわを寄せてごほんと一つせき込んだ。

 

「陵。とても大事な話をする。よく聞きなさい。」

 

人間の嫌な予感というのは到底当たってしまうものだ。
もちろん俺だって例外じゃない。

 

「陵。お前は綾乃お嬢様に付き人以上の感情を持っているね。」

 

あまりの予想していなかった言葉にドキリと心臓が波打つ。少しも目をそらさず、父さんはそれ以降口を開かなかった。
俺が何か言うのを待っているようにも見えた。

 

「なんで…。」

「私はお前の父親だからな。気づくものは気づくものだ。」

 

こんなことになるなんて思いもしなかった。
誰にも気づかれず風化していく想いのはずだった。

 

「でも…ただ好きでいるだけだから。」

 

それでもこの気持ちに嘘はない。あいつを好きな気持ちをごまかすことはできなかった。
もう父さんの顔なんて見られなかった。
下を向いて思わず唇を噛む。

 

「想うだけでいいんだ、欲張ったりしないから…。」

 

これは本当だった。間違った感情を抱いてる自覚はあるし、ましてや叶うなんてこれっぽっちも考えてなどいない。
ただ、まだそばにいたいんだ。
もう少しあいつのそばで、一緒に笑っていたいんだ。

 

「そうか。でもな。…旦那様がお前の気持ちに気づいていないと思うか?」

「え…?」

 

鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。
父さんは今なんて言った…?

 

「お前の気持ちはわかった。先に聞けてよかったよ。」

 

動揺する俺の横を通り過ぎた父さんは、振り向けないまま固まる俺の背中に向けて言い放った。

 

「旦那様がお待ちだ。行きなさい。私は先に向かおう。」

 

頭が真っ白になる、というのはこういうことだろう。
バタン、と大きな音を立てて出ていった父さんの言葉がまだうまく理解できない。

ふ、と意識が戻ってきた時には、どれくらい時間がたっていただろうか。
ドキリ、ドキリと胸打つ音と震える手が、自分の動揺を実感させて思わず舌を打った。
旦那様の部屋に向かう足取りは重くならずにはいられなくて、これから起きるであろうことへのわずかな恐怖がより一層気持ちを焦らせた。
扉の前で深呼吸をして、父さんの時とは比べ物にならないくらいにきちっと服を直す。

 

―――――――コンコン

 

 

「失礼します。」

 

平常心を出来るだけ心がけながら部屋に入れば、

 

「あぁ、陵くん。待っていたよ。」

 

いつも通りの優しい顔をした旦那様がいた。

 

「突然申し訳ないね。呼び出してしまって。」

「いえ、お待たせしてすみません。何かお…僕にお話でしょうか。」

 

思わずいつもの癖で俺、と言ってしまいそうになり、思わず言い直す。

 

「いやいや、そんな固くならないでくれ。なに、対した話じゃない。少し相談があってね。陵くん、君は何でも、フランス語が大の得意だそうじゃないか。休日もフランス語の本をよく読んでいると、家政婦の彼女らがよく口にしているよ。読書をしている君はとても雰囲気がある、とね。」

 

なぜ今そんな話を…?不思議に思ったとき、最悪の考えが頭をよぎった。いや、まさかそんなでも、

 
「はい、学校では選択して学ばせていただいてますし、読書も好きです。雰囲気なんかは…意識したことないですけれど。」

 
まさかそんなと思いながらも、緊張し声が上ずっていく。

 
「うん、そこでね。君に夏休みの間、フランスに留学してもらってみてはどうかと思ってね。」

 
そう紡がれた瞬間、ありえないようなことを言われたはずなのになぜか頭が冴えていった。
今さっきまでの緊張はどこにいってしまったのか。予想はしていた。俺の気持ちがばれているとわかった今、こう言われることは当然といえば当然のことだった。

隣の父さんはいつもの険しい顔を崩さず、何も言ってこない。了承済み、というわけか。
ここで俺が断ればどうなる?間違いなく今度は綾乃が遠くに飛ばされるだろう。
自分の住むこの街を心から愛している綾乃にそんなことを強いるのはあまりに酷なことだった。

もちろん、俺の返事は一つのみだ。

 

「…、はい、行かせていただきます。」

 

俺がそう返事をすると、心なしか父さんが身じろいだ。なんの質問の抵抗もすることなくうなずいた俺に驚いたのだろうか。
一方旦那様は大喜びで、傍から見れば純粋に嬉しいことであり、もちろん俺だって喜ぶべきことだった。

 

「そうかそうか、それはよかった、嬉しいよ。もちろん学費や旅費は心配しなくていい、何不自由ない生活を送れるように手配しよう。」

「旦那様、これを。」

 

これまで黙っていた父さんが後ろからす、と何かを旦那様に差し出した。
父さんが出したクリアファイルには何やら学校のパンフレットのようなものが挟まっている。

 

「おお、そうだな。陵くん、これが留学先の学校の案内だよ。実は手続きは既にしてあってね。」

 

既にしてあって…って、最初から断らせるつもりなんかなかったってことじゃないか。

 
「…ありがとうございます。」

「すごくいい学校だよ。私の大学時代の友人が学部長をしているところでね…」

 

旦那様の話はもう聞いてなどいなかった。
その後も留学先について色々と教えてくれていたけど、俺にはそれが”もうここには戻ってくるな”という意味にしか聞こえなかった。

そしてその話を聞いてからわずか1週間後、俺は約2ヶ月のフランス留学へ旅立つことになる。

 

 

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第一部終

第二部はこちら。→  知らない、知りたくない。

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