知りたい、知りたくない。


「知りたい、知りたくない。」

著:まつくぼっくり

■あらすじ
彼女は知らない。」次話
身分の違うお嬢様、綾乃に付き人の自分が無謀な恋を続けてもう10年になる陵。綾乃の父、旦那様に気持ちを気づかれ、綾乃との距離を取らせるため2か月のフランス留学をさせられることに。

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「陵!!!」

 

フランスへの出発の日。大きなキャリーケースなどは既に配送済みのため大した荷物も持たない俺は、一人搭乗口の前に立っていた。

わずか一週間の間に俺は、フランスに行くことをついに綾乃に言い出せなかった。

そんなこと言おうものなら旦那様に何を言ってかかるかわからないし、何よりそんな話をして、俺の気持ちが揺らいでは困ると思ったからだ。
毎日なんだかんだで自分の趣味に付き合う俺がいなくなるとなれば、暇つぶし相手がいなくなってさぞ退屈だろう。

そしてきっとあいつは言う。”行かないで”。俺とは全く違う意味で何気なく言うであろうその言葉は、せっかく俺が固めた意志を崩れさせるのには十分すぎる一言だ。

最後まで伝えることは迷ったが、今思ったところで後の祭りだ。俺はもう、後30分もすれば飛行機に乗り込み、12時間後にはやっとの思いで異国の地に降り立っていることだろう。
だからそんな声が聞こえるわけないんだ。

どんなに辞めたくても辞められない俺の、苦しいだけの恋心が魅せる幻だと。そう思いたい気持ちとは裏腹に、名前を呼ばれた気がした俺は自然と目であいつを探してしまう。いるはずない、いるはずない、だって俺は何も、

 

………いた。

 

大きく立派なエスカレーターを挟んだ向こう側、恐ろしい形相でこちらを睨む綾乃がいた。

すごい勢いでエスカレーターを駆け下り、駆け上り。あぁまったく、そんなに走ったら危ないって、そう心の中で思った矢先、前から歩いてきた人とぶつかり転びそうになる。…もう、言わんこっちゃない。

いつもの軽装にペタンコのサンダルを履いて駆けてくると、綾乃は唐突に俺に突撃を試みた。
もちろん避けてみせたが、それが気に入らなかったのか今度は殴ろうとすらしてくる。一体なんだっていうんだ。

それでも俺が何も言わないでいると、しびれを切らしてやっと声をかけてくる。

 

「陵!!私、何も聞いてないよ!!フランス!?2ヶ月!?そんな大事なこと、なんで!!!!」

 

話し出したかと思えば勢いよく捲し立ててくる綾乃。

ここが大勢の人が行き交うロビーだってこと、わかってんのかな。

 
「あぁ、悪かったよ。」

 
できる限りそっけなく返せば、突如泣きそうな顔を、って、え…。

 
「なんで…?私のこと、嫌いになったの?だからこんな大切なことも、言ってくれないの?」

「いや、そうじゃない、違うよ、俺は、」

 
普段の綾乃では考えられないくらいの弱々しい声に、思わず焦りまくる俺。
それきり綾乃は俯いてしまい、背の高い俺からは顔が見えなくなる。

 
「綾乃、ごめん。何も言わずに行こうとしてほんと、悪かったよ。だから顔上げてくれって」

 
見たことのない綾乃に若干緊張を覚えながらそう言えば、ゆっくりと顔が上がる。

 
「私、わたしさ、ね、電話くらい、してもいいよね?」

 

予想外の言葉に驚く。なに?電話?

 
「お父さんに言われたの。陵は夢のためにフランスへ行くって。陵が自分で決めたことだから、邪魔をしてはいけないよって。今日の朝やっと、知ったの私。でも、でもね、あんなにさ、毎日一緒にいて、たくさんおしゃべりしたのに、…こうまでして叶えたい夢があったなんて、私全然知らなかった。」

 

夢って、なんだよそれ。俺そんなこと一言も言ってないだろ。
旦那様はこの一週間ずっと笑顔で機嫌もよかったけど、それは俺が綾乃の前からもうすぐ消えるとわかっていたから?こんなでっち上げの話をするほど、俺をそばに置いておきたくないってわけかよ。
こんなの、なんて返したらいいんだよ。

 
「そう、だな。言ったことなかったかも。実はそうなんだよ、フランスに行ってどうしても学びたいことがあってさ。旦那様に言ったらぜひ行ってこいって、おっしゃってくれて。それに甘えることにしたんだよ。」

 
しどろもどろになって答える俺に、綾乃は納得していないようななんとも言えない顔をしてこっちを見る。

 
「だから、その、」
「うん、わかった。」
「え?」
「応援、する。陵がどんな夢持ってるのか知らないけど、頑張って叶えてほしいから。」

 
綾乃は突然、吹っ切れたような顔をしてそう言った。

 
「だからさ、ひとつだけ約束して?絶対、今よりもっとかっこよくなって帰ってきてね!」

 

満面の笑みでそう言った綾乃に、ドキンと胸打つ。あぁ、やっぱ好きだよ。
ごめんな、こんな気持ち、ずっと隠したまんまで。嘘もたくさんついて。そう思うのは確かなのに、心のどこかで考えるんだ。俺のいない2ヶ月、きっと誰のものにもならないで、俺を待っていてほしいって。

 
「あぁ、当たり前だろ?俺を誰だと思ってんだ。」

 
そうふざけて言うと、君は笑う。いつも俺を虜にして離さない、そのとびきりの笑顔で。
俺の胸の中の葛藤なんか、知りもしないで。

 

””お客様にご案内致します。フランス行き、定刻12時30分発、○○便をご利用のお客様は、ただ今、3番ゲートよりご搭乗を開始致します。ご搭乗のお客様は、3番ゲートよりご搭乗下さい。””

 

フランス行きの搭乗アナウンスが聞こえる。もう出る時間だ。
もうしばらく会うことのないと覚悟して家を出た今朝が嘘のように名残惜しく感じてしまう。だから伝えるのは嫌だったのに。

 

「もう行くね。見送りありがとな」

「うん、いってらっしゃい!」

 

そう言って俺が見えなくなるまで手を振り続けると言った綾乃に早めに背を向けて歩き出す。

急に物悲しくなった心には無視をして、今から俺が向かうのは綾乃のいる日本から9980キロ離れたフランス。
なんの準備も目的もなく初めて行く地で俺は、何に出会い、何を思うというのだろう。
不安を抱えたまま、それでも顔を上げて進みたいと、重くなってゆく足取りと共に、飛行機に乗り込んだ。

 

 

 

***

 

 

 

『おはよう陵!今日の気分はどう?』

『あぁマイク。おはよう。とてもいいよ。』

『それはよかった。ところでさ、昨日の課題はやった?』

『やったけど…わかった、マイクまた昨日一晩中ゲームしてたんだろ?』

『やべ、わかった?なあ陵、頼むよ!俺らの仲だろ?お前いつもテスト満点じゃないか!』

『まったく…仕方ないな、提出までに急いで写せよ?』

『さすが。必ずすぐ返すよ!!』

 

フランスに渡航して早1ヶ月。日本からの留学生は珍しいのか最初は俺をハレモノのように扱っていた学校のやつらとも今ではすっかり打ち解け、俺は何の問題もなくむしろかなり充実した毎日を送っていた。

毎日虫取りに連れていかれることもないし大きな荷物を持たされて朝から晩まで街を連れ回されることもない。

ただあるのは少しの退屈と、満たされない虚無感だけだ。
今頃あいつはどうしているというのだろう。毎日電話するから!!と初日に言っていた勢いはどこへやら、1ヶ月経った今ぱったりと電話は止んでしまっている。

旦那様と父さんの手前、なかなか俺から連絡するわけにもいかなくて。

 

「…嘘つき。」

 

----は、今すげえ女々しいこと言った気がする。パリの街に染められて俺にも乙女思考が混ざったのかな。………いやいや、”乙女思考”ってなんだよそもそも。

学校は順調だ。この間は友達の誕生日を朝から深夜までかけてお祝いなんかもした。
友人と話すときは基本フランス語のため、日常会話ならもう問題なく話せるくらい身に付いた。

ホームステイ先の家族もすごく優しくしてくれる。家族の中で唯一日本語が話せる父親のケリーは、俺の良き相談相手だ。普段なかなか使わない難しいフランス語の通訳もしてくれて、大変助かっている。

現在俺は高校生だが、こっちでは大学で学んでいる。
学科は好きに決めていいと言われたので、小さい頃からずっといつか習いたいと思っていた経営学を専攻した。

芸術の街パリでは、そのような学科の規模はあまり大きくはないらしく、小さな空間で落ち着いて授業に取り組むことができていた。
小さな、と言っても、ぐるっと見渡しても俺にとっては十分広すぎる教室だ。同じ学科のやつらとはすぐに打ち解けた。
そして、ついうっかり話してしまった綾乃のことも、教室が同じ生徒たちには知られてしまっていた。

そのおかげで毎日のようにいじられて、毎日いやでも綾乃のことを考え、感慨にふける時間を設けられるというわけ。まったく参ってるんだ。

でも、なかば無理矢理決められた留学ではあったが、自分の中ではとてもいい経験ができているように思えるし、学んでいくうちに日本にいるままでは到底考えもしなかったであろう、小さいながら本当に夢も見つかった。

ここに来た意味は大いにあったと思う。それを叶えるには並大抵の努力では難しく、俺にとっては人生で一番難関かとまで思うようなものだ。

これを夢と呼んでいいのかすら危ういが、一番の話し相手であるマイクに相談したとき、”その夢を叶えるために今踏ん張って見せろ”と言われてなんだか吹っ切れた気がした。

そんな優しく思いやりのある人たちに囲まれて過ごすこの街で、恋しく思ってしまうのは綾乃のこと。

今何してる?何を見てる?何を考えてる…?

俺の思考は本当にイカれちゃったのかもしれない。

 

 

 

***

 

 

 

『陵!君に日本から手紙が届いてるよ。』

 
帰国予定の日まで1週間を切ったある日、俺に一通の手紙が届いた。届けてくれたケリーにお礼を言って自室に持っていき宛名を確認すれば旦那様からのそれだった。
連絡を電話とかじゃなく手紙にするところが旦那様らしい。中身を確認すれば、

””
陵くん。やぁ、元気にしているかな?フランスでの生活もなかなかいいものだろう。
これが届くころにはもう、帰国まで1週間を切っている頃だろうね。

そこでひとつ提案があってね。今陵くんが専攻している経営学の、年間テストを受けてみてはどうだろう。
本当は1年間の授業の後に受けるものだが、今の陵くんなら相応の学力があるのではと思ってね。
私からの勝手な提案だ、乗り気じゃなければ受けなくても構わない。君の自由だよ。
テストが受けられる手配だけはしておくから、興味があれば明日にでもアンデス教授に話してみるといい。
それではね。元気な姿での帰国を願っているよ。

””

 

旦那様はいったい何を考えているというのだろう。年間テストと言えばこの学校特有の制度であり、1年間の自分のスキルアップを試すいわゆる実力テストのようなものだ。

短期の留学生である俺は対象外のはずなのに…。なんのために俺にこれを受けさせるつもりなのか。
意図は全くわからないが旦那様からの連絡とあっては無視することも、なかったことにすることもしづらく、早々に受けることを決めたその日は慌てて机に向かってテキストとにらめっこする夜になるのだった。

次の日教授に旦那様の名前と一緒に話をしてみると、喜んで受けることを快諾してくれた。
なんでもアンデス教授と旦那様は古い友人らしかった。

アンデス教授が学生時代、日本に留学した時に友達になったのが旦那様だったというわけだ。
それからもう何十年、ずっと友情が続いていて未だに連絡も取り合う仲だなんて、なんだかとても素敵な話だった。そして帰国を3日後に備えた夏の終わりに、俺は試験を受ける。

結果が出るまで1週間ほどかかるらしく、後から日本に送る、と言ってくれたのでそれに甘えることにした。

長いようであっという間にも感じた2か月間は、自分で見ても明らかに俺を成長させてくれたと思う。
もう俺は決めたんだ。綾乃のそばを、離れたくないって。帰国したら一番に綾乃に会って、きっと素直に寂しかった、って言って見せようじゃないか。

そして旦那様に夢の話をしよう。納得してもらえるかわからないしそれどころかまたフランスに逆戻りになるかもしれない。それでも見つけた夢を叶えたい。俺も欲張りたいと、思ってしまったから。

 

 

 

***

 

 

 

「お帰りなさい、陵くん。初めまして。阿久津翔って言います。君は綾ちゃんの付き人なんだってね?長い付き合いになると思うから、ぜひ仲良くしてよ。」

 

帰国した日、少しばかり出迎えを期待しなかったわけじゃないが、まぁ見事に誰もいなかったわけで。
小さな荷物を抱えて2か月ぶりの屋敷に着けば、見知らぬ人に迎えられ、突然自己紹介を受けた。

こんなやつ今までいたか…?頭を巡らせても記憶になく、ここ2ヶ月で入った使用人かなにかかと思い誰だよお前、と口にしようとしたとき、その男の後ろからちょこんと顔を見せたのは、2か月間会いたくて会いたくてたまらなかった俺の想い人。
こんな形で再会になるとは思わなかったけど、やはり久々に目にする綾乃は特別可愛くも見えて。

 

「お、かえり。陵」

「あぁ、ただいま。俺のいない間元気にしてたか?暇つぶし相手がいなくて退屈してたんだろ。」

 

口角があがるのを抑えられていたかは知らないがとにかく俺は綾乃に会えたことが嬉しかった。だから気づかなかったのだ。この男がどんな男であるかも、これから起こるとんでもない事態にも。

 

「ちょっと陵くん、無視なんて傷ついちゃうな。でも、そんなことはないよ、ね?綾ちゃん。」

「え?あ、うん…」

「あんた、どなた?」

 
半分忘れかけていた男の存在を思い出し、そして分かったような口ぶりをしてくるこいつにちょっとイラついて、少々機嫌悪そうにそう聞けば、にや、と笑ったそいつが放った内容に俺は言葉を失った。

 

「僕は綾ちゃんのフィアンセだよ。おじさまから仰せつかったんだ。企業提携をするこの機会にぜひどうかってね。」

 

綾乃はうつむいたまま何も言わない。俺も不敵に笑うこいつから目を離せないまま、どうすることもできなかった。

 

 

 

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第二部終

第三部はこちら→見えたはずの未来。

 

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